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見捨てられた被害者の為の低周波音公害ハンドブック

 低周波音公害Handbookは、この被害の世界的権威である汐見文隆医師が、益々拡大するその被害者を救済する為に1994年に著作されたものです。

 既に20年が経過していて、内容が古くなった項目もあり、分かっているものは訂正しました。

低周波音被害は、色も臭いもなく掴むことも出来ない「空気の波動」という物理現象が原因の、これまた他者が視認可能なこれといった被害症状がない被害です。

 現在まで、低周波音被害に対する法整備は全く手付かずであり、一端被害者が発生してしまうと、制度として救済方法が無い現状ですから、音源駆動を止めることはできず、被害者は現地を離れる以外に被害を回避することができません。

汐見文隆医師は、著書「左脳受容説」に於いて、低周波音症候群が、騒音として右脳で聞き流してきた低音域の空気振動を、左脳が受容することで看過できなくなってしまった〝脳の不可逆変化〟であることを示し、一度、低周波音症候群を発症すると、決して元には戻らない〝不治の病〟と位置付けています。

 低周波音被害は骨導音に依って起きるのであり、気導音が原因で起きるのではなく、しかも皮膚が反応して起きるのです。

国際規格ISO-7196 としてG 特性値を定めていますが、低域の非可聴音とは異なり、実在しません。蝸牛の構造上8~10Hz 以下が低域の非可聴音です。また、気導音のみで骨導音要素が排除されています。一度でも聴力検査を受診したことがある人ならば、骨導音を遺漏することはありません。しかも短時間の実験結果によるもので低周波音被害とは何の関係もないのです。

 ISO-7196に根拠は無く、人体評価に適用できない架空の数値です。

 10~20Hz は聞こえるのであり〝低周波音〟も〝超低周波音〟も便宜的な取り扱いのための区分けであって、人的被害とは無関係であり、被害判定の要素として使用してはならないのです。

G特性は典型的な低周波音発生源であるコンプレッサー(空気圧縮機)でも80dB程度ですから、コンプレッサーを枕にしても超低周波音を感じないとの評価です。

 低周波音問題では感覚閾値(雑音の無い環境で聴覚が検知できる最小の純音の音圧レベル)や聴覚閾値と言う言葉が登場します。感覚閾値には骨導音要素が無く、正しくは「気導音の感覚閾値」のみが提示されていますが、骨導音の感覚閾値はありません。つまりは存在しない評価量であって現実の被害には適用してはならないのです。

 過去に於いては、低周波音を調査するについて理工学士の手を借りざるを得なかったので、理工学士の介在を許してきました。でも現在では誰でも計測することは可能です。

 この暴行傷害事案を、理工学士が医師でもないのに医師であるかの如く振る舞って被害を否定してきました。

 1Hzのオトは100Hzのオトの100万倍伝播力(伝わる力)が大きいのですが、このことを伝えた理工学士は一人として居ません。

つまりは理工学士の嘘が低周波音被害を作ってきたのです。しかも嘘は理工学士の懐を肥やすためだけの嘘だったのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 また、背景の音が存在しない空間は存在しません。

 被害は、背景の音に加害音圧レベルが加算されて生じるのです。背景の音は20dB も30dBも場所に依って異なるので、背景の音+加害音圧レベルで被害は判定しなければなりません。聴覚閾値のように、この周波数の値をこえたら被害アリとするような単純な判定方法で被害は判定できず、加害音圧レベルで判定するのです。

 また、汐見医師は〝ストレス〟と言う言葉を使用しませんでした。

 明白な卓越なる物理現象が加害しているのだから、一般的に使用される〝ストレス〟は〝ストレッサー〟と混同されることがあり、そのような曖昧な言葉を安易に使用しない、との立場です。

 『1976 年初頭ですから、低周波音症候群(当時は超低調波音公害)はまだ疾患像もはっきりしていない未解明の状況でした。それなのに、感覚閾値という[診断基準]もどきのものが既に存在していたというのですから驚きです。Aという疾患が新しく発見されたとします。それは昔からあるよく似たBという疾患とどう違うのかがまず追求されるでしょう。そしてAとBとは全く異なる疾患であることが判明し、Aの病像がさらに解明された後に、診断基準が確立していきます。これが医学の常道です』と医師は、感覚閾値の登場は医学の論理に反していると述べています。

言うならば1976年以来45年の長きにわたり理工学士の嘘が低周波音被害を支配しています。

 主に理工学士は日本騒音制御工学会(INCE)に属しています。国際的には INCE (Institute of Noise Control Engineering)という学会ですが、学会全体が事実を伝えません。

 汐見文隆医師の叡智を基に、被害者の苦悶から目を背け、呻き声に耳を閉ざしてきた、命の尊さも知らず人の心の痛みさえ分からぬ者達への戒めとするとともに、棄民となった被害者のせめてもの支えにしていただきたいと思います。

 尚、被害者の会ではこのHandbookを頒布しています。お問い合わせください。

                                  特定非営利活動法人 低周波空気振動被害者の会 窪田泰 2020.6.16

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​​はじめに

 国や地方公共団体に寄せられる公害苦情の中でもっとも多いのは騒音苦情です。騒音の原因は、工場、建設作業、自動車、航空機、鉄道、一般営業から家庭生活騒音まで多岐にわたりますが、そのほとんどは低周波音を伴っており、正確には[騒音+低周波音]の被害というべきです。その中には、騒音よりも低周波音の方が被害の主体をなすものや、ほぼ純粋に低周波公害とみられるものまで含まれていますが、すべて騒音公害の中に一括して対処されているのが我が国のほとんどの地域での現状です。
 騒音はだれにもわかりやすいのに、低周波音は一般にわかりにくいために、[騒音+低周波音]の被害を単に騒音公害と思い込んでいる人は被害者の中にも多くみられ、このことが問題の正しい解決を困難にしています。
 騒音苦情に対処してくれる市町村は普通は騒音計しか持っていませんから、こうした苦情の訴えに対し騒音だけを測定し、それを騒音基準に当てはめて判断しようとします。これでは低周波公害は切り捨てられることになります。これだけ苦しいのに、騒音基準をクリアしているから、法的にどうすることもできませんとお役所から申し渡されては、低周波音の被害者は途方にくれるばかりです。
 これだけ科学が進歩し測定機器が普及しているというのに、この非科学的なやり方がいまだに無反省に国中で行われており、全国各地で低周波音被害者は切り捨てられています。その見捨てられた被害者のために少しでもお役に立ちたいというのが本書の願いです。
                                              (1994年5月)

    目  次

    はじめに 
(1) 低周波音とは 
(2) 音の強さ 
(3) 騒音計での測定 
(4) 公害としての扱い 
(5) 騒音と振動と 
(6) 基準とは 
(7) 基準がないこと 
(8) 被害症状 
(9) 建物・建具の被害 
(10)個人差 
(11)鋭敏化 
(12)感覚異常者 
(13)聞こえない騒音か 
(14)発生源 
(15)遠くまで伝わる 
(16)困難な対策 
(17)訴えの特徴 
(18)ひどい過小評価 
(19)環境庁の実態調査 
(20)健常な人 
(21)環境中の実態 
(22)住民不在の行政 
(23)住民不在の行政(続)
(24)難行する測定 
(25)秘密測定を 
(26)秘密測定を(続)
(27)公害は犯罪である 
(28)科学無視の測定 
(29)状況無視の測定 
(30)測定の三原則 
(31)原因療法 
(32)隣の被害の謎 
(33)被害を受けたら 
(34)必ず記録を 
(35)周囲を固めよ 
(36)測定は行政に 
(37)協力者を求める 
(38)裁判に訴える 
(39)逃げ出すこと 
(40)低周波人間 
(41)騒音地獄 
(42)便利中毒文明 
(43)やさしさ欠乏症候群 
(付) 騒音公害との鑑別表 

(1) 低周波音とは

  低周波音とはなんですか?
  普通の音とどう違うのですか?

 低周波音も普通の音も、いずれも空気中を伝わる振動の波、つまり空気振動です。ではどこが違うのかといいますと、その空気振動の振動数が違うのです。
 振動数の単位をヘルツ(Hz)といいます。1秒間の振動数のことです。 100ヘルツの音とは、1秒間に100振動の音です。 一般に人の耳は、20ヘルツから20000ヘルツの間の音を聞き取ることができるとされます。20ヘルツ以下の低すぎて聞こえない音を超低周波音、20000ヘルツ以上の高すぎて聞こえない音を超音波といいます。
 では、20ヘルツから20000ヘルツの間なら同じように聞こえるかといえば、そうではありません。人の耳の感度(聴力)は、2000ヘルツから4000ヘルツあたりがもっとも良好で、それより高くなっても低くなっても聞き取りか悪くなります。
 人間の会話は、500ヘルツから2000ヘルツ前後で行われ、100ヘルツ以下は言葉に入らないとされていますので、日常生活にあまり必要ではありません。そのため、100ヘルツ以下になりますと、耳の感度が急激に低下します。そこで100ヘルツ以下の音を、一般には超低周波音を合めて、低周波音あるいは低周波空気振動と呼びます。つまり音の周波数が低すぎて、聞こえない、あるいは聞き取りにくい音を、低周波音と呼ぶわけです。


(2) 音の強さ

  低周波音の強さ(強弱あるいは大小)を表すのにデシベルが使われますが、これはどんな単位ですか?
  騒音の時のデシベルあるいはホンとどう違いますか?

 音の強さとは物理的な音のエネルギーです。ところが一般に音のエネルギーを直接測ることができませんので、通常は音の圧力(音圧)を測定しています。普通の状態では、音の強さ(エネルギー)は音圧の2乗に比例します。
 人間に聞こえる最小の音圧を基準にして、これと任意の音圧との比を対数表示した数値が音圧レベルです。その数値の単位がデシベル(dB)です。
 対数表示ですから、普通の計算と違いまして、50デシベルの音が2ヵ所からくれば、その足し算は約53デシベルです。また50デシベルの10倍の音は60デシベルという計算になります。
 対策の結果、音を半分に下げましたといわれた時、60デシベルが30デシベルに下がったのならよいのですが、57デシベルに下がっただけでも半分になったといえるわけです。これなら感覚的にはほとんど変わりませんから、だまされないことです。
 人の耳の聴覚は、周波数で大きく変動します。そこで耳の性能に合わせて、特に低い周波数を弱く評価するように設計されたのが、公害用の普通騒音計です。これによる測定数値がデシベル(A)で、これまで騒音公害の基準に使われてきたホンと同じです。つまり、人の耳の性能に合わせて補正した数値です。


(3) 騒音計での測定

  騒音計で低周波音を測定できますか?

 公害用の普通の騒音計で低周波音を測定することはできません。その際測定されるデシベル(A)はA特性ともいい、低い周波数を実際より非常に小さく評価しています。
 単一の音(純音)について比較してみますと、
  1000ヘルツ     50デシベル=50デシベル(A)
   100ヘルツ     50デシベル≒30デシベル(A)
    50ヘルツ     50デシベル≒20デシベル(A)
これではとても低周波音を正直に表示してくれません。
 また、普通の騒音計では、C特性も測定できるようになっております。これはC特性ほど極端な補正になってはおりませんが、やはり十分平坦(フラット)ではありません。それでも、A特性とC特性と両方を測定すれば、その差が大きいばど、低周波成分が多く含まれていると推定することができますが、参考程度です。
 普通の騒音計は、31.5ヘルツ~8000ヘルツの問を測定できるように設計されており、それ以下も以上も切り捨てです。ところが低周波音の被害は、16ヘルツ前後に多くみられますので、これでは本当のところで役に立たないわけです。
 騒音苦情は市町村が対応することになっていますが、市町村は騒音計しか特っていないのが通例です。その騒音計で騒音だけでなく低周波音の被害まで対処しようとしがちですので、低周波音被害者は行政から切り捨てられることになります。

(4) 公害としての扱い

 公害対策基本法に載っている「典型7公害」の中に、低周波公害がはいっていませんが、公害ではないのですか?

 公害対策基本法・第2条
   この法律において「公害」とは、事業活動その他の人の活動に伴って生ずる相当範囲にわたる大気の汚染、水質の汚濁、土壌の汚染、騒音、振動、地盤の沈下及び悪臭によって、人の健康又は生活環境に係る被害が生ずることをいう。

 
 ここに記載されいる7つの項目を典型7公害と呼び、低周波公害は入っていません。また、被害が小範囲、しばしば一人だけの被害の訴えということも多いのですが、1974年当時の和歌山市でのメリヤス工場周辺での約50人の被害の訴え、1977年当時の西名阪自動車道での約100人の被害の訴えなど、相当範囲にわたるでないからと否定するわけにもいきません。
 1977年、低周波公害を第8番目の公害に指定する目的で、環境庁の大気保全局の下に「低周波空気振動調査委員会」が作られ、基準をきめようとしました。公害を取り締まりの対象にするためには、厳密な基準が必要だという考えでした。
 しかし、そういう杓子定規な考え方は低周波公害にふさわしい考え方ではありません。結局基準を設けることはできませんでした。
 委員会に出席して基準設定に反対意見を陳述した私に対し当時の橋本道夫大気保全局長は「基準はできなかった。しかし、被害があれば対応する」と述べました。
 (2006年当時、独立した項目ではありませんが、騒音の中に低周波音がありました。)

(5) 騒音と振動と

騒音と振動と低周波音との関係はどうなっていますか?

 騒音と振動とは典型7公害として認められ、低周波音は認められておりませんが、実はこの三者は大変近い関係にあります。
     騒音  = 空気振動 + 高い周波数
     振動  = 地盤振動 + 低い周波数
    低周波音 = 空気振動 + 低い周波数
 こうした密接な関係から、騒音と振動と同時にある時には、必ず低周波音もあり、この三者が長期間ある時、一番被害者を苦しめるのは、実は低周波音なのです。騒音+低周波音でもまず同じです。
 騒音も振動も非常にわかりやすい。しかし低周波音は非常にわかりにくい。ですから、被害者は騒音と振動の被害だけ、あるいは騒音の被害だけと思い込んでいることが多いのですが、低周波音はボクシングのボディブローのように、後から効いてきます。
 低周波音は、公害用振動計に、振動をとらえるピックアップの代わりに、低周波音用のマイクをつなげば測定できます。ですから、騒音を測定するほど簡単にはなっていませんが、振動を測定するのと大差ありませんし、測定機械も、個人が購入するのは大変にしても、行政にとっては安い機械です。行政が低周波音だけを差別扱いして測定しないのは、被害実態を無視した不当な行為です。
 ましてや、「低周波音被害は公害ではない」とか、「基準がないから測定しても意味がない」とかの暴言が行政から出てくるのは、許せないことです。

(6) 基準とは

公害から住民を守るには、基準が必要だと思いますが?

 公害対策基本法か作られた1967年当時、たとえば四日市市とか大阪市西淀川区などの大気汚染はひどいものでした。それに対して、基準値を設けて「これ以下にしなさい」と国が言ってくれるのは、住民にとって確かに有り難いことでした。
 しかし、当時のようなあんなひどい公害状況がおおむね存在しなくなった今日では、基準の持つ意味が逆転しています。ここまでなら基準以下だから出してもよろしいとか、出ていても基準以下だから文句をいうことはできないとか、住民の味方であったはずの基準が、いつの間にか企業や行政の味方になっています。
 住民が騒音被害を訴えますと、行政は騒音計で騒音を測定してくれます。測定の結果、基準を越えておれば相手に対策を指示してくれますが、基準以下だとなにもしてくれません。その時基準は行司の軍配の役割を果たしています。
 騒音で両者が対立している時、軍配が加害者に上がると、被害者の負け。被害者は騒音被害の上に、辛抱が足りない、わがままだ、神経質だ、いやがらせではないか、カネが目当てに違いない、と、二重の被害を受けます。幸い軍配が被害者に上がっても、対策は基準以下にすればよいだけで、騒音被害状況は無視。それ以上はいえませんと突き放されます。基準は行政・企業の免罪符です。
 我が国の幹線道路の中で騒音基準をクリアーしているのは、1割強に過ぎませんが放置です。基準は行政の目安だそうです。

(7) 基準がないこと
基準がなければ、どうしようもないのですか?

 騒音も振動もひどいある被害者宅のケースです。そこが住居地域でなくて準工業地域であったため、ゆるい基準が適用されましたので、騒音もわずかに基準以下、振動もわずかに基準以下。対策は相手企業にお願いするしかないと困っていました。
 測定してみますと、当然ながら相当きつい低周波音が出ておりました。これで、胸を張って相手と交渉できるわけです。もし、変に低周波音の基準なるものがあって、これまた基準ぎりぎりセーフだったりしたら、泣くに泣けないことになります。
 本当は、基準などない方がよいのです。あくまで、被害があるということが基本です。「近隣騒音」について、林道義東京女子大教授は、「基準は被害者にあり」と述べておられます。
 その基本は日本国憲法にあると考えます。
 13条(個人の尊重と公共の福祉)
 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。
 第25条(生存権、国の社会的使命)
① すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
② 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。

 
(8) 被害症状

低周波公害では、どんな被害症状が出るのですか?

被害症状の主体は、一言でいえば不定愁訴といわれるものです。
 頭痛、頭重、イライラ、不眠、肩その他のこり、胸の圧迫感、どうき(ドキドキ)、息切れ、めまい、吐き気、食欲不振、胃やおなかの痛み、耳鳴り、耳の圧迫感、目や耳の痛み、腰痛、手足の痛み・しびれ・だるさ、疲労感、微熱、かぜを引いたような感じ、などなど。これを低周波音症候群と言います。
 以上いろいろある中で、夜も低周波音が出ておればの話ですが、頭痛、イライラ、不眠がもっともポピュラーな症状で、三主徴とし才す。この三つがあれば低周波公害を疑えという意味で、特に集団的な被害の場合に参考になると思います。
 こんな不定な症状ですから、医療機関を訪れても、患者さんが騒音環境のことを教えてくれなければ、医者には診断困難です。自律神経失調症(中年女性なら更年期障害、老人なら動脈硬化症)と命名されて、頭痛には頭痛薬、イライラには精神安定剤、不眠には睡眠薬と対症療法に終始しがちですが、これらは本質的に無効です。原因療法、つまり低周波音発生源を断つしか対策はありません。
 もっと明確な身体症状はないかとなりますと、鼻血は確かに多くみられます。その他、回転性のきついめまい発作としてメニエル症候群、急に脈拍(心拍)が早鐘のように打ち出して、また急にパツと正常に戻る発作性頻拍、ひどい体重減少などが被害者に多くみらわるように思います。
(9) 建物・建具の被害

身体被害(低周波音症候群)以外に被害はありませんか?

 低周波音は普通の音と違って振動的な要素が強いですから、音圧が大きければ、家屋の柱や壁のひび割れや瓦のずれなど、建物の被害が出ます。ただし、原因が空気振動なのか、地盤振動なのか、あるいは両方なのか、区別しにくい場合が多いようです。
 航空機であれば地盤振動はありません。自動車や列車の場合ですと、平面を走っている場合はまず地盤振動を考えますが、高架橋の場合は低周波音の役割の方か多くなると思われます。
 こうした建物の被害よりもっと多くみられるのは、建具(戸・障子・窓ガラスなど)や器具類が、細かくガタガタ鳴るという徴振動の被害です。70デシベル以上位になると、このがタガタ音が発生するとされます。
 このがタガタ音で、夜寝られない。したがって頭が痛い、肩がこる、などなど。それを克服するため睡眠薬を多用することになり、それで昼間だるくて、ぼんやりする。こういった筋道で、自分の被害を解釈している被害者がいます。二次的騒音被害です。
 個人差がひどいですから、純粋にそういう場合があつてもよいでしょうが、本当は低周波音による直接の身体被害であるのに、ガタガタ音による二次的騒音被害と思い込んでいる可能性があります。
 そのガタガタ音を止めてくれさえすればよいということなら、対策は割合簡単ですが、対策後に直接の身体被害である低周波症候群が残って困ったことになる恐れがあります。

(10)個人差

低周波音害は個人差がひどいと聞きましたか?
 低周波音公害には個人差が著しく、そのことが被害者の悩みの種になっています。家族の中で、被害を訴えるのは一人だけということもしばしばです。よそから来た第三者ならなおさらわかってくれません。そこで、「神経質なのではないか」「気にするからだ」などと、被害者が逆に悪者にされたりします。
 奥さんが症状を訴え始め、次第に苦しむようになってから実に4年後に、ご主人が妻の訴えていることがわかったというケースがありました。「わかったら地獄」というのが、ご主人の実感です。
 この場合もそうですか、奥さんは低周波音公害現場の家にずっといますが、ご主人はあまり家にいないという環境条件の差を越えて、どうも中年婦人が鋭敏な場合が多いようです。もちろん例外は多々ありますが、一般に、男、若い人、老人はにぶい傾向です。
 あちこち低周波音害の被害現場を訪れましたが、私の妻は初めから大変敏感で、被害者とよく話が合います。それに対し私は終始極めて鈍感で、承り役専門です。したがって、もともと個人差があるのは明らかです。「他の人がなんともないのに、うるさく言うのはおまえだけだ」と被害者を責め立てるのは、おかど違いです。
 どうしてこんなに個人差があるのでしょうか。低周波音は日常の言葉などに不必要な音の領域ですから、トレーニングを受けることなく、ほとんど生まれたままに放置されているため、その差が大きいのではないかと考えています。
(11)鋭敏化

低周波音もも時間が経てば慣れるのではありませんか?

 騒音には慣れという現象がよく見られますが、低周波音には慣れはまずありません。それどころか、時間の経過とともにどんどん鋭敏になって、苦痛が強くなるのが普通です。
 1979年のことです。西名阪自動車道の香芝高架橋で発生した低周波公害が問題になり、環境庁の交通公害対策室長が現地を訪れました。その時高架橋直下の試験家屋で、被害住民たちと1時間以上も話し合いが行われ、住民の中には苦しくなって途中逃げ出す人もあったほどでしたが、感想を求められた室長の「音は想像していたより静かでした」という言葉に、住民は挙って激怒しましたが、実は室長の発言は正直な感想であったと思われます。住民にこれ程よくわかる苦しさが、室長にはわからなかったのでした。
 低周波公害にもともと鋭敏な人がこの地域に集中して住んでいたとは考えられませんから、低周波音のひどい高速道路の沿線に数年間住んでいるうちに、地域住民の多くが集団的に鋭敏になっていったと考えられます。つまり、無意識のうちに強制された形で、学習効果、訓練効果が上がったものと思われます。
 昭和53年度環境庁委託業務結果報告書によりますと、低周波空気振動の感覚域値の研究では、鋭敏化した被害者は、一般の人より10~20デシベルあるいはそれ以上鋭敏であることが明らかにされました。また東大・斎藤正男教授のご研究では、一般の人も訓練によって鋭敏化することが明らかになりました。

(12)感覚異常者

 他の人がなんともないのに、一人だけ被害を訴えたりするのは、その人が感覚異常者なのではありませんか?

 工場から100メートルも離れた家の主婦が、工場の音がうるさくて眠れないと言い出しました。騒音測定では基準以下、近くの人も家族も平気、工場の人がその家に一泊したが、うるさい音など何も聞こえなかったということから、行政から“感覚異常者”にされてしまいました。
 感覚異常者にしてしまえば、悪いのは異常感覚を持った被害者であって、工場は悪くないことになり、工場も行政もなにもしなくてよいことになります。こんな楽なことはありません。
 でも、被害者はどうなるのでしょうか。(低周波)騒音被害の上に、感覚異常者という辱めを受け、すべてから見放されたのです。
 わが国には、多数者=正常者、少数者=異常者という差別の図式が、抜きがたく存在しています。
 公害とは弱者の被害であるというのが、私の基本的主張です。住民全部がやられるなら、それは公害ではありません。事件です。低周波音に弱い人がやられ、強い人は平気。それが公害の姿です。
 大気汚染の場では、老人や子供のような常識的に弱者と納得される人が被害を多く受けました。低周波公害では、元気なはずの中年婦人が被害をうけやすいだけの違いです。四日市・西淀川の物凄くひどい大気汚染の場でも、実際に被害を受けるのは、全体からみれば常にはん少数者なのです。

(13)聞こえない騒音か

低周波公害は聞こえない騒音と表現されることがよくありますが、本当に聞こえないのですか?

 低周波音の被害者のほとんどは、騒音被害の訴えから出発しております。不定愁訴だけ訴えている被害者でも、尋ねますと聞こえると答えます。山梨大学の山田信志教授は、聞こえることが被害の出る必要条件だとしておられますが、事は単純ではありません。
① 聞こえる、聞こえないには、周波数だけでなく、音圧も関係しています。普通聞こえないとされる超低周波音でも、20ヘルツ以下なら聞こえないとはっきり一線を引けるわけではなく、音圧が十分大きければ聞こえるとされます。
② 聞こえている音と被害を与えている音と、同じ音であるとは限りません。低周波音で被害を受け、それよりもっと周波数の高い音を聞き取っている可能性があります。
③ 低周波音で被害を受けていても、そもそも聞こえなければ、外から被害を受けていることがわからないのではないか。公害ではなく、自分の固有の疾患と思いこんでいる可能性があります。
④ 被害を受け入れるルートは、耳からが主体と考えられますが、もっと直接的に、脳自身をはじめ、肺や心臓や胃腸その他の身体諸臓器に影響を与えていると考えられます。
 普通の音は非常に振動数が多いので、耳という特別の感覚器で感じ取るようになっているわけですが、低周波音なら、普通の細胞が感じ取ってもよい振動数なのです。

(14)発生源

低周波音の発生源には、どんなものがありますか?

 あらゆる機器から大小様々な騒音や低周波音が発生します。その際、ひどい騒音を出す機器はすぐに改善されますが、低周波音の改善はいつもその後に取り残されます。騒音源対策として音の大きさを下げることが困難な場合には、周波数を下げればよいとしていた時代が、最近まであったのです。
 周波数の違う純音で30デシベル(A)を比較した場合、それは、1000ヘルツ・30デシベル≒31.5ヘルツ・70デシベルどちらも30ホンだから静かなもんだというのはおかしいのです。
 低周波音を発生する機器は、三大別することができます。
  ① 工場の機器  エンジン、コンプレッサー、コンベヤー、ポンプ、ボイラーなど
  ② 輸送機器   自動車、電車、船舶、航空機など(自動車では走行音よりふかし音の方がきつい)
  ③ 家庭の機器  特に冷暖房機(エアコン)、家庭用給湯器
 要するに、ほとんどすべての機械、装置から低周波音が発生します。しかもこれらの機器はどんどん増えていますから、今後とも、低周波公害は増えていくことでしょう。そしてこれまで切り捨ててきた“聴覚の暗部”を狙い打ちしているのです。
 低周波音は自然現象として昔から存在していました。地震、雷、風、波(特に津波)、火山の噴火など、恐ろしいものばかりです。被害症状の中の心理的な部分は、これに由来するのでしょう。

(15)遠くまで伝わる

低周波音は遠くまで伝わるのですか?

 和歌山県岩出町に高野山の流れを汲む根来(ねごろ)寺という大きなお寺があります。「ねんねん根来の子守歌」で知られています。
 その根来寺に伝わる里謡に、
  ねんね根来の よう鳴る鐘は  一里聞こえて 二里ひびく 尾道に行きますと、有名な千光寺があります。
  音に名高い 千光寺の鐘は   一里聞こえて 二里ひびく 
 この下の句は、随分全国で歌われているようです。
 ここで言う「聞こえる」は普通の音、「ひびく」は空気を伝わる振動ですから低周波音のことです。昔から、普通音より低周波音の方が遠くまで届くことが、経験的に知られていました。
 音源から離れるにつれ、音は小さくなります。これを距離減衰といいます。低い音ほど減衰は小さく、高い音ほどよく減衰します。
 また音源の面積が大きければ大きいほど、距離減衰は小さくなります。ですから、巨大な工場全体が振動して低い低周波音を出しているような時には、この低周波音は驚くほど遠くまで到達する可能性があります。そうなりますと、どこから来ているのか、はっきりわからない場合もあるわけです。
 1980年当時、同志社大学の野田純一先生が国道43号線で測定されたデータでは、道路沿いから40メートル離れると、A地点での減衰は 騒音13ホン、低周波音1デシベル、B地点での減衰は 騒音13ホン、低周波音6デシベルでした。

(16)困難な対策

低周波公害の対策はどうですか?

 音(空気振動)が空気中を伝わる途中に、壁などの傷害物がありますと、音は以下の4つの行動をとります。
   ① 反射    ② 吸収    ③ 透過   ④ 回折(壁の上を乗り越えて回り込む)
 周波数が低いほど、反射と吸収が少なく、透過と回折が大きくなます。防音室は、普通の音は著名に低下させますが、低周波音はそれほど低下しません、また防音壁も、普通の音は低下させますが、低周波音にはまず効果はありません。主として回折のためです。
 こうした性質の違いから、重大なトラブルが発生します。
 音源としては、騒音と低周波音と両方発生していることが現実には多いわけですが、音はわかりやすく、低周波音はわかりにくいため、被害者も加害者も、そして行政も、音の被害だけと思い込みがちです。そこで行政が騒音計で測定して、規制値をオーバーしておれば、加害者側を指導します。
 防音壁にしろ、二重窓にしろ、防音対策は比較的容易です。その結果、音は著明に低下して、基準をクリアします。
 この時初めて低周波公害が浮上します。それまで音に紛れてはっきりしなかった低周波音の被害が、より鮮明になってくるのです。低周波音だって、防音対策によって若干音圧が下がっているのですが、症状はかえってきつくなるのが普通です。
 低周波公害の被害者たちは皆、テレビやラジオなどの音を大きくして苦しさを紛らわせる工夫をしています。この場合、公害源の低周波音は同じ強さでありながら、それらの音が加われば楽になり、逆にその音を切れば苦しくなるわけです。
 防音対策は、音による低周波音被害症状の緩和効果を低下させ、それは低周波音の低下による効果を上回るということです。
 被害者側は、苦しいから当然さらに苦情を訴えます。行政側は、基準をクリアしているからと相手にしたがりません。加害者側は、これだけ良心的に対応してやったのにまだ文句を言うかと、態度を硬化させます。こうして深刻な事態に突入ということになります。
 西名阪自動車道の低周波公害が表沙汰になったのは、高架橋の部分に防音壁をつけた時からです。高架橋自身に防音壁を取り付けましたから、振動物体が巨大化したためと考えられます。住民の苦情がたかまり、日本道路公団もそれを認めて、せっかく作った防音壁を200メートルにわたり撤去しましたが、例の鋭敏化という現象があっては時すでに遅く、深刻な対立に発展しました。その時、道路公団はあらゆる対策を実施しましたが効果がなく、遂に1980年「西名阪低周波公害裁判」に突入しました。
 道路の騒音や空港騒音がどうにもならなくなった時、対策に公費で防音室を作るということがよく行われます。国道43号線についての野田先生の測定では、騒音 27ホン低下、低周波音 12デシベル低下です。大阪国際空港について、川西市の防音モデル住宅での著者の測定では、騒音 24ホン(普通室 13ホン)低下、低周波音 12デシベル(普通室 8デシベル)低下でした。
 要するに、低周波音には有効な防音対策はありません。加害者が逃げ出すか、被害者が逃げ出すかを、まず考えるべきです。

(17)訴えの特徴

 騒音による被害か、低周波音による被害かを区別することが大事だと言われましても、ではどうしたら低周波音の被害だとわかるのですか?

 騒音と低周波音とは同じ空気振動であって、周波数が違うだけです。従って、低周波公害も、騒音公害の延長線上にある同類だと思われがちですが、低周波公害は騒音公害とは別物です。はっきり区別して認識する必要があります。
 両者が別物である理由は恐らく、低周波音の周波数が、人体の普通の細胞でも馴染める周波数であるのに対し、騒音の周波数は、耳(聴覚器)という特別に分化した感覚器でなければ捉えられない極めて高い周波数であるためだと考えます。
 低周波音と普通騒音とは、定義上、一応100ヘルツが境になっていますが、それはきりのよい数字だからで、低周波公害と騒音公害との正確な境ははっきりしません。これには当然個人差もあることと思います。
 しかし、私がこれまで経験した被害についてみますと、50ヘルツ以上での被害の訴えは経験しておりませんので、もう少し低い周波数のところに境目があるようです。
 このように境目がはっきりしないとしても、低周波公害と騒音公害とは多くの点ではっきり区別されます。低周波音の被害者には騒音の被害では考えられないような特徴的な訴えがありますから、それを知っておれば、区別はむしろ容易です。
 ① 原因となる音は、私たちの会話のようなはっきりした音ではなく、もっと低い周波数の音で、多くは低い機械音です。そして、じっくり聞きますと、その音の成分の中に、振動のような、あるいはうなるような感じを含んでいることがしばしばです。きつい時には、建具や戸棚などの徴振動がみられる場合があります。
 ② 室内の方が苦しく、戸外の方が楽です。
 ③ 戸や窓は閉め切っているより、開ける方が楽です。やかましいだろうと思って家族が戸や窓を閉めると叱られます。
 ④ 狭い部屋(便所・風呂・狭い台所など)で苦しく、広い部屋の方が楽です。
 ⑤ 苦しい時、大きな音でラジオやテレビなどをかけますと楽になります。ほとんどの被害者は自然にこのことを実践しています。
 ⑥ 防音壁などの防音対策をすると、効果がないどころか、かえって被害がひどくなることが普通です。耳栓も効果かないだけでなく、かえって耳が痛くなったりします。
 ⑦ 同じ家族の中でも、強い被害を訴える人と、平気な人とかあり、著しい個人差がみられます。
 ⑧ 月日が経つにつれ、だんだん苦しさかひどくなります。音に慣れるということはありません。
 ⑨ 騒音計で測定してもらっても、低い値しかでず、自分の苦しさに対応する数値を示してくれません。自分の苦しさと騒音測定数値との食い違いに注目する必要があります。公平であるはずの行政の測定だからと鵜呑みにして、数値にだまされないことです。
末尾に、騒音公害と低周波公害との鑑別表を示します。

(18)ひどい過小評価

 低周波公害は、たまに思い出したように報道されるだけですが、そんなに少ないものなのですか?

 低周波公害は大変ポピュラーな公害ですが、騒音と違ってわかりにくいのと、実態があまり知られていないため、被害者もそうと気付かないまま、騒音の中にまるめこまれて処理されてしまっています。しかも行政はしばしば意図的にそのように対応しています。
 環境庁によりますと、年間の低周波騒音苦情は全国で30件前後に過ぎないから、特別な対応をとっていないとしていますが、話はアベコベです。特別な対応をとっていないから、上へ上がってこないだけです。我が国は上意下達のお国柄です。
 東京都世田谷区の平成2年度の公害の苦情内容をみますと、合計2 1 9件の苦情の中で、低周波空気振動-0 となっています。人口77万人の世田谷区の都市環境の中で、低周波公害がゼロなんて、信じられますか。しかし、苦情の内容をみますと、エアコン室外橋、ボイラー、排気ダクト、換気扇、浄化槽など、低周波音が主体とみられるものは、全体の1害以上。オーバーに評価すれば、全体の半数近くが低周波音がらみです。とてもゼロなんてものではありませんが、環境庁はこれをゼロと把握していることでしょう。
 「騒音被害者の会」が1993年5月に東京都で2日間実施した「騒音110番」では、648件の相談中、低周波騒音とみられるものは、厳しく見積っても49件あり、それだけで環境庁の年間苦情数を上回っています。

(19)環境庁の実態調査

環境庁が行った実態調査ではどうなっていますか?

 「昭和53年度低周波空気振動等実態調査」については、「昭和53年度環境庁委託業務結果報告書」が出ております。
 この報告の中心は、120デシべルの低周波空気振動の1時間の人体実験です。120デシベルという物凄い音圧が1時間も続くような環境は、一般世間にはまず有り得ないことです。同時に、被害者は、数力月、多くは何年というレベルの時間で被害を訴えておりますから、120デシベル・1時間は余りにも非現実的です。
 そしてその人体実験の結果導かれた[総合評価]は。
   短時間であるならば、呼吸数、心拍数には変化はあるにしても正常範囲であり、少なくとも健常な人であれば、低周波
   空気振動の影響はないといってよいであろう。
 一般に、よくわからない“病気”が発見された時、その究明実験の本筋は、まずその“病気”を再現することです。再現できない時には、できるだけ現実の条件に近付けて実験をやり直します。つまり、再現できないのは、存在しないのではなく、やり方が悪いからだと考えるのです。そして、いくら条件を替えてやり直してもどうしても再現できない時、はじめて、存在しないのではないかと疑ってみることが許されます。
 しかし、この報告書では、120デシべル・1時間という非常識な条件での実験をやっただけで、条件を替えた再実験を行うことなしに、再現できないから存在しないといっているのです。

(20)健常な人

健常な人とはなんですか?。

 健常とは、健康と通常とを結び付けた言葉です。
 では、「昭和53年度環境庁委託業務結果報告書」がいう健常な人とは、どういう人たちなのでしょうか。
 120デシベル・1時間の人体実験を受けたのは30名、その内20名は20歳代(内女1名)です。低周波音に一番ニブイと思われる「若い男」が中心です。反応が出にくそうな被検者を選んだところが、第一のミソです。
 それでも実験の中で、2例の人に困った事が起こりました。困ったというのは、低周波音の被害を否定するのには都合が悪いという意味です。それをごまかすのに「健常な人」が登場したのでした。
 その2例を「報告書」から拾ってみましょう。
      [過労を訴える被検者]
   過労を訴える被検者(数週間にわたって日曜日なしに動き続けた被検者)を低周波空気振動に暴露した。
   20Hz・120dBの空気振動を与えると、約30分を経て特に眼振とまばたきが現れた。以後これらが続くが、突
  然空気振動を停止すると、少なくともまばたきと眼振がほとんど消えた。
   健康であれば、単純な反応だけであろうが、過労が重なると、このようにまばたきと眼振があらわれる例がある。外部
  の全ての物が揺れると被検者はいう。この反応によって重大な事故をもたらす危険性かある。
     [感冒に罹患している被検者]
   感冒に罹患している被検者(37.3℃の微熱があり、少し咳が出ている者)について、検査を行った。
  低周波空気振動を与えると、突然悪心、嘔吐(かなり厳しい症状)があらわれ、検査を中止した。その時の波形では、
  特に呼吸波形は乱れ、まばたきは増加し、不整である。また心拍数は減少し、リズムは乱れている。
   健康な人には低周波空気振動の影響ははっきりあらわれないが、感冒などにより体の調子をくずしている場合には、こ
  の例のように悪心、嘔吐という症状があらわれる可能性がある。体の抵抗力がおちているような場合に、低周波空気振動
  の生体に対する影響がはっきりあらわれる場合があると考えられる。
 この2例から、低周波音が体に強い影響を与えることが実験的に証明されたはずです。それを「過労を訴える彼検者」「感冒に罹患している彼検者」とわざわざ特別扱いして除外した上で、「少なくとも健常な人であれば、低周波空気振動の影響はないといってよいであろう」と[総合評価]しているのです。
 健常な人、過労している人、感冒の人、もっと重い病気の人、死にかかっている人。いろんな人か混在しているのが住民です。その中で、健常者、とくに低周波音にニブイ若い男を主体にして低周波音の被害を論じ、他は除外するのはなぜでしょうか。
 公害とは、住民の中の弱者の被害です。こんなやり方で、低周波公害が解明されるはずはありません。

(21)環境中の実態

環境中の低周波空気振動の実態を調査した環境庁は、被害を訴える程度の低周波音はどこにでもあるとしていますが?

 昭和59年12月に、環境庁大気保全局から「低周波空気振動調査報告書―低周波空気振動の実態と影響-」が出ています。環境庁が昭和51年度から進めてきた調査研究をとりまとめたものです。
 その結論は、「一般環境中に存在するレベルの低周波空気振動では、人体に及ぼす影響を証明しうるデータは得られなかった」としています。以後10年、低周波公害を無視し続けています。
 この結論の中心となったのは、すでに述べた人体実験で、その結論の不当は指摘したとおりです。
 もう一つの論拠は、「環境中の低周波空気振動の実態」の調査です。 商業系地域 39、工業系地域 27、住宅系地域 62、工場周辺 27、その他と、測りまくったのです。それが被害実態を究明するのになんの役に立つというのでしょうか。「下手な鉄砲もかず撃ちゃ当たる」というわけでしょうか。
 第一、測定した時刻が記載されていません。それで一体、「昼間は辛抱できる。深夜が辛抱できない」という多くの被害者の訴えにどう対応しようというのでしょうか。
 環境中の低周波空気振動の実態とは、低周波公害の被害者の環境を、被害の実態に即して測定することです。
 そしてその測定結果は、どこにでもあるどころか、一つとして同じものはありません。それぞれか特異的なのです。

(22)住民不在の行政

 低周波公害に対しては、地方行政も十分対応してくれないと聞きますが、なぜですか?

 地方自治体の低周波公害に対する対応をみますと、その自治体の民主主義の有り様が、手に取るようにわかります。
 低周波公害に対して、市町村は騒音計だけしか持っていないのか普通ですから、その騒音計で片付けてしまおうとするところが多くみられます。騒音計での測定は簡単であり、その測定した数値を基準に当てはめればよいだけですから、対応も簡単です。苦情が残っても、基準がこうだからと押し切ることができます。被害者は泣き寝入りするほかありません。
 ところが低周波公害となると、そうはいきません。市町村には測定機械がないのが普通ですから、府県に測定を頼むか、府県から測定機械を借りてきて自分で測るか、とにかく面倒臭いのです。測定も騒音ほど簡単ではありません。それに基準がありませんから、基準に当てはめて押し切ることもできません。
 ところが有り難いことに、環境庁は低周波公害を無視しようとしているのですから、これに従わない手はありません。
 「低周波音の被害は公害ではありません」「基準がないから測定しても意味がありません」「基準がないので、行政として相手にどうしろとはいえません」といったあんばいです。
 住民の訴えを真正面から受け止めて、その苦難を救ってくれるような民主的な市町村はまずありません。

(23)住民不在の行政(続)

 低周波公害に苦しむ被害者にとって、市町村に測定能力がないことが悩みの種だと聞きますが?

 低周波音の測定は、騒音のように簡単ではありませんが、またそんなに難しい測定操作でもありません。また測定機械も、贅沢さえしなければ100万円前後、市レベルにとっては、はした金に過ぎません。なぜ購入しないのでしょうか。
 それは、環境庁か典型公害と認めておらず、基準もないという、くだらない理由にすぎません。住民の被害という観点からみれば、それに対応するためにも購入して当然ですが、そうしないのは、地方自治体には住民の実際の被害に真正面から対応しようという誠意も良心もないからです。
 国がきめてくれさえすれば測定機械の購入は簡単です。しかし、国がきめていないものを購入しようとすれば、その理由を議員に納得させねばなりません。それが厄介で面倒なだけです。カネの問題ではありません。
 地方公共団体から環境庁に寄せられる低周波公害の苦情が、毎年たった30件前後しかないというのは、本当にそんな件数しかないのではなくて、地方自治体が環境庁のやり方に盲従しているだけの
ことです。実数はその100倍位。地方自治体で被害実数が1 0 0分の1イ立に圧縮されているのです。環境庁はそれをよいことにサボリ続けでおり、地方自治体もまたそれをよいことにサボリ続けているのです。これは救いのない悪循環です。

(24)難行する測定

 低周波公害解決の上で測定は欠かせませんが、測定が被害者にとって大変な苦労の種になっていると聞きますが?

 低周波音の被害を市町村に訴えた時、測定機械を持たない市町村はどう対応するかですが、なかなか府県に頼もうとはしません。
 上級官庁に対して遠慮があるのか、日頃連係がうまくいっていないのか知りませんが、市町村段階で門前払いできないかと、まず思案するようです。その時、被害者の力量を見計らい、特別うるさいヤツとか、議員が後ろについているとかでなければ、名もなく貧しくおとなしい市民は、「おととい来い」と突き放されます。
 府県に通じてくれないだけでなく、中には府県に測定機械があることさえ教えてくれない市があります。人づてにやっと県に測定機械があると聞いて、喜び勇んで県に測定を願い出たら、「騒音は市だ。スジが達う」と追い返されたという話があります。官僚の縦割り行政に加えて、上意下達の一方通行で、我が国の民主主義は全く機能していません。
 ではどうしたら測定できるのかと尋ねると、業者に頼めと突き放されます。その測定業者ですが、中央でも地方でもなかなか見つかりません。やっと見つけても、一回の測定費用ン十万円と吹き掛けられます。中には一声百万円てのもありまして、被害を受けた上になんでそんな大金が必要なのかと、うんざりします。それに業者にそれだけ支払っても、満足するデータが得られることはまずありません。死にガネになるのが落ちです。
(25)秘密測定を

 低周波音の被害者が納得するような測定値が業者からなかなか得られないのはどうしてですか?

 測定業者に大金を払って測定してもらって、なぜ満足する測定値が得られないのでしょうか。
 彼等は専門家です。しかも十分の費用を要求するわけですから、当然きっちりと測定してくれることでしょう。
 しかし、彼等の目的は正確に測定することであって、被害原因を究明することではありません。それは関係ないことです。
 原因とする低周波音が、日により時間により、きつかったり弱かったりすることはよくあることです。測定の時だけはきつく出てくれと願っても、そうは問屋が卸しません。まあ、今日はなぜか弱いとガッカリするのが落ちです。それでも測定は正確に行われ、費用も正確に請求されます。それは不十分だったからといって、もう一度お願いしますとはなかなかいえません。底無し沼にカネをつぎ込むようなことになるからです。
 低周波公害の発生源は零細な企業とか個人とかが多いわけです。加害者と被害者との対立が激しく、始終文句をいわれている加害者側は、神経をとがらせています。測定業者が見慣れない大きな機械をかつぎこめば、ハハンと気が付いて、機械を止めるか、音を小さくします。しかし測定は予定通り行われ、依頼した側は、泣く泣く測定費用を支払う羽目になります。
 測定は厳重な秘密測定でなければ意味がありません。

(26)秘密測定を(続)

 低周波音の被害者が納得するような測定値が、行政が乗り出してもなかなか得られないのはどうしてですか?

 私は、低周波音の測定は秘密測定が原則であることを主張し、実践しています。そのため、せっかく遠路測定に行ったが、目的の音が出ておらず、といって相手に音を出してくれと頼むわけにもいかず、すごすごと引き上げたこともしばしばです。しかし、その労を借しんでは、納得のいく測定はできません。
 測定業者がその労をとってくれるか。納得のいくデータが得られるまで何度でも測定を繰り返してもらえるという契約にすることはまず無理でしょう。納得の限界が決められないからです。
 これが府県の場合だと、もっとひどいことになります。秘密に測ってくれとお願いしても、まず絶対聞き入れません。
 県にお願いして、「騒音は市だ」と断られた被害者のケースですが、市を通じて再度お願いして、県が測定してくれることになりました。そこで、秘密裏に測定することをお願いしたところ、それはダメだと拒絶です。相手に通告した上での、正々堂々の測定です。
 当然その測定の日は、弱い音しか出ませんでした。それでもどんな測定値かとデータをもらいに行ったら、プライバシーの問題があるから、データは出せないとはね付けられました。
 とうとう、やむなく、業者に測定を依頼しましたが、その測定の日は残念ながら弱い音しか出てくれませんでした。そして、もう度測定する金銭的余力はないとの悲しい知らせです。

(27)公害は犯罪である

行政が秘密測定をしようとしないのはなぜですか?

 大阪市西淀川区の大気汚染公害患者を支援して来られた開業医の那須力先生は、「公害は犯罪である」と断じておられます。
 低周波公害を考えても、それまで平和に暮らしていた住民が、ある日突然、隣にできた小さな工場が発する低周波音に苦しめられるとすれば、住民になんのとがもありません。相手が一方的に悪いのです。
 ところが行政は、こうした住民間の争い事に関しては、両者を平等・公平に扱うのが民主的だと思い違いしているようです。公平どころか、名もなき個人よりも、育成してやりたい企業の方を守りたい気持ちの方が強いのが見え見えです。
 測定しますと連絡すれば、それが可能である限り、相手は音を出さないか、音を小さくするのは、誰でも予想することです。それを予想できないほど、行政は石頭ではないはずです。
 もっとも、府県は権力を持っていますから、機械を動かさせて測定するという手を使うことができます。全部機械を動かして測定した値だから、これがもっともきつい値だというわけです。だからお役人はオメデタイと言われるのです。
 長年の争いの中で、きつい時に何度も文句を言われておれば、業者は、どの機械がきついか、どういう動かし方をした時きついか、熟知しているはずです。それを避けて動かして、全機稼動、大したことなしでは、被害者が浮かばれません。

(28)科学無視の測定

行政の測定が被害実態を明らかにしないのはなぜですか?

 測定というのは科学的な行動です。科学の原則を無視した測定が役に立たないのは当然のことです。
 ある事象を測定した時、対照を同時に測定し、それと比較しなければ、その測定値の意味付けをすることはできないというのは、科学のイロハです。
 ただし例外はあります。例えば水の汚染物質を測定した時、対照を取る必要はありません。対照はゼロだからです。しかし、音関係では、対照はゼロということはありませんから、対照を取らなければ判断できません。
 ところが行政では、この対照を取ることなしに判断しようとすることが、余りにも多いのです。
 それは多分こういうことだろうと思います。騒音測定では、測定値をそのまま基準に当てはめればよいわけです。この場合、基準が対照の代用品の役割を果たしているとみることができます。騒音の基準値が、昼夜の差を設けたり、住居地域だとか商業地域だとか工業地域だとかで違った値をとっているのは、そういう意味です。
 しかし低周波音には基準がないのですから、対照、つまり音源が停止している時の測定値(暗騒音)と比較しなければ、判断できないはずなのに、それをやらないのです。ダメで当然です。
 環境庁が環境中の低周波音を測りまくって、どこにでもあるなどと言い張ったのは、科学無視の極みです。

(29)状況無視の測定

 行政や業者などの測定が、被害者をなかなか納得させ得ないのはなぜですか?

 低周波公害は被害状況がまちまちなだけでなく、個人差がひどいのですから、その被害者の状況を詳細に尋ねた上で、その被害に即して測定する必要があります。
 まるで義理や厄介のように、「測れというなら、測りゃいいんでしょう」では、納得のいく正しい測定は到底無理です。
 1978年頃のことです。西名阪自動車道の低周波公害が世間にかまびすしかった頃、日本道路公団に頼まれたかどうか知りませんが、なんの前触れもなく、騒音関係の一人の専門家がヒョッコリやってきて、現地を測定して行きました。そして、あれは大したことはないと言ったということです。なにしろ数少ない専門家の言葉ですから、これが日本道路公団を喜ばせ、問題がこじれることにもつながったと思われます。
 しかし、大したことがないかどうかは、その後の裁判が明らかにしました。結局解決は、住民が立ち退くしかなかったのです。
 専門家ともあろうものが、どうしてこんな重大な間違いを仕出かしたのでしょうか。
 彼はわざわざ現地まで足を運びながら、被害住民とは誰一人会おうとせず、こっそり測定して去って行きました。昼間の一時間ほどの測定でした。
 住民がかねがね主張していたことは、被害は大型の重量トラックが通過する時にきつく、普通乗用車では大したことはないということです。その大型トラックが沢山通過するのは、大阪の市場へ急ぐのでしょうか、早暁に連なるように走るので、睡眠中の静かな時間帯ですから、余計つらいわけです。それに対して、昼間は乗用車ばかりで大型トラックはほとんど通りませんから、それはどきつくはありません。こうした住民の話を問けば、昼間の測定では十分被害実態を捉えられないことは明らかです。
 この専門家は音響学や音響測定の専門家であっても、公害問題では素人だったのです。低周波公害の測定は、専門家なり専門技術者にお出まし願えれば、即座に答えが出るような、そんなアマチョロイものではありません。
 しかしなにも公害の専門家でなければという訳ではありません。公害測定は、被害者の立場に立って測定するという、技術以前の測定者のこころの問題です。
 そういえば、夜は勤務時間外だから、昼間しか測定できませんとヌケヌケと言う公務員もいました。深夜の音か苦しくて眠れないと訴えているのにです。
 被害者を納得させるためには、まず測定者自身が納得できるデータでなければなりません。あんなデータで、測定した人が納得しているのか不思議に思えることが多いのです。
 低周波音測定による原因究明は、犯罪捜査に似ています。簡単なものはあっけないはど簡単ですが、難しいものはあくまで難しいのです。その時必要なのは、一方では執念(ねばり)であり、一方ではひらめきです。そして根底にあるものは“現場主義”です。測定はやりがいのある楽しい謎解きの仕事です。

(30)測定の三原則

低周波音を測定する上での原則は何ですか?

 低周波音を測定する上での問題点を、いろいろ述べてきました。そこから導かれる原則のようなものを、3つ挙げてみます。
①秘密裏に測定すること
②対照(暗騒音)を測定すること
③被害に即した測定をすること
 これはなにも特別なことを挙げたわけではありません。極めて常識的な当然なことを挙げたに過ぎません。
 ところがこの常識が、行政その他で一向に通用しないのです。だから、そういう測定はサッパリ役に立たないのです。その中には、被害者を切り捨てるために測定しているのでないかと疑いたくなるような測定すらあります。
 イヤイヤやれば、測定ほどつまらないものはありません。しかし真理を追求する科学者のこころを特って測定すれば、次々に疑問がわいてきて、謎解きの面白さを与えてくれます。そして謎解きに成功すれば、低周波公害の被害とそれが解明されない苦しみに絶望する被害者に、希望と救いを与えることになります。
 それはまた、測定者にとっても、無上の喜びであるはずです。
 この測定の三原則を無視する測定者は、この喜びのチャンスを自分で捨て去って、測定をつまらない仕事におとしめているのです。

(31)原因療法

医療機関を受診したらどうなりますか?

 低周波公害の被害者は、いろいろな症状があるのですから、当然医療機関を受診します。しかし、それで満足できた被害者はまずありません。そこで医者のはしごが始まります。A内科からB内科、C内科。内科がだめなら耳鼻科、眼科、整形外科、精神科。開業医がだめなら大病院。すべて徒労に終わります。
 すべての医療機関での受診結果は、被害者の本来の疾患を除けば異常なしです。いくら詳細な検査をしてもらってもです。原因が内にあるのでなく外にあるのですから当然です。
 そこで対症療法です。頭痛に痛み止め、イライラに精神安定剤、不眠に睡眠薬ときます。それで治るわけはありませんから、やがて医者を替えますが同じこと。いたずらに、痛み止め、精神安定剤、睡眠薬の山を築くだけです。
 治療の基本は原因療法です。外から来る物理的原因に対して、こんな化学的薬剤が有効なはずはありません。
 原因を除けといっても、それを医者に要求するのは酷かもしれません。しかし、被害者が自分の症状と低周波音との関連を熟知しており、そうした状況についていくら熱弁を奮っても、聞く耳を持たない医者が実に多いのです。
 医師は公害患者を救わない。救ってくれるのは、ごく一部の医師だけという我が国の公害問題の悲しい現実は、低周波公害とて例外ではありません。

(32)隣の被害の謎

音源の人が平気なのに、なぜ隣が文句を言うのですか?

 すべての音は、距離が離れるにつれて小さくなります。音を出している音源のところで一番音が大きく、隣の家まで行けば、当然音は小さくなります。音源の人のところでどうもないのに、なぜ隣が文句を言うのかというのは、加害者側だけでなく、第三者も、そして口に出さなくとも恐らく行政側も抱いている疑問です。イヤ、被害者もしばしばそう思っています。苦しいのだが、自分のことだから、あるいはカネ儲けのことだから、暖房・冷房の快適をもたらすから、辛抱しているのだろうと。
 しかし低周波公害は、原則として、音源には発生せず、隣近所・周辺に被害が出るのは厳然たる事実です。隣近所に迷惑をかけながら、加害者が気が付いていないことも多いのです。
 なぜそうなのか。理由はいろいろ考えられます。
① やはり人間は本質的に身勝手な存在で、自分のメリットになることには寛大、メリットのないことには厳格です。
② 低周波音の被害は静かな環境で起こりやすいように、被害者が静かな心身の状況にある時起こりやすいのです。騒音を出している工場の場合、工場側はガチャガチャと忙しく立ち回っているのに対し、隣は静穏な日常生活を送っているとすれば、工場側は平気、隣は苦しくて耐えられないというのが基本的パターンです。
 脊椎動物には、生体の意思と無関係に、内臓・血管・腺などの機能を自動的に調節する自律神経という神経系があります。
 自律神経には交感神経と副交感神経とがあり、互いに相反する働きをすることによって、体の働きの平衡を自動的に保っています。
 交感神経は活動に適した状態を作り出し、副交感神経は休養に適した状態を作りだします。交感神経はエネルギーを消費する方向、副交感神経はエネルギーを貯える方向で、両者相まって初めてうまくいき、健康も保たれるのです。
 低周波音に対しては、交感神経が緊張している状況では平気であり、副交感神経が緊張している状況では鋭敏であるとみられます。活動している時は平気ですが、休養している時はたまらんというわけです。
③ 一般に労働基準は環境基準より10倍、時に1 0 0倍厳し設定されています。その理由は、
  イ 労働関係はカネ儲けですが、環境関係は一文にもなりませんから、労働関係は辛抱して当然。
  ロ 労働は一日8時間、休日あり。しかし環境関係は1日24時間、休日なしが基本です。工場が24時間、年中無休でも労働者は交替していますが、住民は交替なしです。
  ハ 労働者は採用時に検診を受けますから、労働環境に不適当な人は初めから除外されていますが、住民には居住の適否をきめる検診はありません。
  ニ 労働者は、もし自分の労働環境が不適当と思えば、配置替えを申し出るなり、やめていったりします。住民はそう簡単に移転することはできません。
 ですから工場では、低周波音に鋭敏な者は淘汰されて、ニブイのが残ることになりますが、住民はそうはなりません。
④ 妙な音がしてくれば、、この音はなんだろうと耳を澄ませす。
それは人間の本能的な行動です。意識を集中し、感性を高めて、判断しようとします。静かにして思索する体制にあれば、なおさらそのことに注意し続けます。“鋭敏化”はこうして起こると考えられます。ところが音源側は、この音は何かと思索する必要はなく、したがって鋭敏化する必然はありません。
 また、加害者にとってもし不快きわまる音であれば、それを止める自由を持っています。しかし被害者は、その音がなにかということがわかっても、それを操作する自由を持たないのです。苦しい時だけとめていただければ、どうもない時はどうぞご遠慮なくと、臨機応変にというわけにもいかないでしょう。
⑤ 実は以上述べて来たことは、それほど重要な理由ではないかもしれません。一番のポイントは、騒音対策をすれば余計苦しくなるという現象にあります。
 普通騒音と低周波音と両方あれば、低周波音の方が少ない減衰で隣へやってきます。そして隣家の壁や戸に反射、吸収された残りが部屋の中に入って来ます。そこでは普通騒音は著しく低下していますが、低周波音はそれほど低下していません。相対的に低周波音の方が大きく、その差が大きいということが、本家本元ではそれほどでない低周波音の被害が隣では強く出る主な理由と考えます。
 被害者が苦しい時、ラジオやテレビをつけて大きな音で聞くと楽になります。冷房をつけてその機械音を聞いたら楽になるという被害者もいます。そういった音を一緒くたにして聞いているのが音源側で、それらの音抜きでじっくり低周波音を聞かされているのが被害者側です。つらいはずです。

(33)被害を受けたら

 低周波公害の被害に気がついた時は、まずどうしたらよいのでしょうか?

 「騒音被害者の仝」を創始された佐野芳子さんは、近隣騒音について、「被害を感じたら、すぐに相手に伝えなさい」といっておられます。至言だと思います。低周波公害も同じです。
 日本人の性格として、「近所同士お互い様」という遠慮か強く、なかなかそうは割り切りにくいのですが、すぐに、そしてサラッと伝えるのが、問題解決のためにも大事なことです。
 ある人が、隣のエアコンの音をじっと我慢していましたら、ある日その隣の奥さんが用事で訪ねて来た時、「アラ、お宅のこの音、なんですの?」。ガマンでなくてマンガです。
 なまじ辛抱していますと、だんだんたまらなくなってきます。とうとう我慢しきれなくなって相手に伝える頃には、すでにこちらの感情も平静を失っており、平和な交渉が困難になりがちです。
 初めて工場が動き出した時には、相手も、この音は隣近所に迷惑がかからないかと気を使うものです。その時に訴えてこそ、対処しやすいのです。随分日が経ってからの恐れながらでは、すでに仕事が軌道に乗っており、建設や機械の業者とも縁遠くなってしまっていますから、そこから一からやり直すのは大儀なわけです。なんとか簡単に逃げられないかと思うのも人情です。この状況は、家庭用のエアコンやボイラーであっても同じです。
 火事ともめごとは初期消火に限ります。

(34)必ず記録を

 加害者側と交渉しましたがうまくいきません。どうしたらよいのでしょうか?

 初期消火が不成功に終わった時、長期戦を覚悟しなければなりません。基準を持たず、測定も困難で、相手にも第三者にもわかりにくい低周波音の被害を、どう理解させるかが大切になります。
 もちろんそれ以前に、自分の被害が単なる騒音被害ではなく、それとは異質な低周波公害であることを被害者本人が自覚していなければ、話になりません。
 被害を訴えるのが自分一人である場合も少なくありません。自分以外のすべての人が、その被害をわからない時、感覚異常者扱いならまだましな方で、訴えた行政から精神科受診をすすめられた被害者さえあります。幻聴・幻覚のたぐいと判断されたのでしょう。
 基準を持たないということは、役人が頼みにする規範がないということです。測定が困難ということは、客観的な数字が得られないということです。あるのは被害者の主観に頼る“舌先三寸”だけでは、いかにも弱いのです。戦況極めて不利です。
 そこで、まず自分の被害を逐一記録することをお勧めします。記録とは主観の客観化です。世界一の識字率を誇る我が国です。自分で自分のことを記録するのですから、誰にでもできるはずです。費用もわずか、時間もそれほどかかりません。
 ところが現実はそうではありません。 しやべることは得意でも、書くことが苦手という人が、とくに女性に目立ちます。しやべることなら、少し位いい加減でも取り繕ってしやべれますが、書く時はそうはいきません。後に残るからです。不正確なところは、いちいち調べて正確を期さなければなりません。それが面倒なのでしょうか。しかし、そこが大事なところなのです。
 見知らぬ低周波公害被害者から時々電話が掛かってきます。どんな経路でこちらを知ったのか、随分遠隔の人からもかかってくることがあります。積年の恨みがたまっていますから、しゃべりだすととまりません。30分位はまたたく間ですが、それでもそれ位の時間では、こちらは正確に状況を把握できません。そこで、詳しく書いて郵送してくれるように頼みます。
 ところが電話であれだけ熱烈に訴えていた人の半数以上は、それきりウンともスンとも言ってきません。それ程現代人は、書くことが苦手になっているのです。書くくらいなら、低周波公害を辛抱した方がましということなのでしょうか。
 事実の把握がいささか不正確な上に、時間がアレヨアレヨという間に過ぎて記憶が失われていったら、もうどうにもなりません。そんな状況で、このわかりにくい被害を第三者に理解してもらおうなんて、虫がよすぎます。
 書くということは、事実や知識を正確にするだけでなく、頭の中にゴチャゴチャと入っている知識や考えを交通整理してくれます。そめ際、それまで主観的であった個々の事象を客観的に見直すことになります。さらに、そこに思索という要素が加わります。こうしたことが、戦いを勝利に導く原動力になるのです。
 公害日誌という言葉があります。正確な記録が長年月積み重ねられれば、もう立派な客観そのものです。裁判所でも通用します。

(35)周囲を固めよ

記録の次に低周波公害被害者がやることは何ですか?

 公害闘争は戦争です。戦いに勝つにはできるだけ味方を集めることです。これに対し、敵は相手の公害源だけではありません。行政ら他の第三者も、むしろ敵側と思っておく必要があります。
 その中で戦いに勝つためには、周囲を固める必要があります。夫 (あるいは妻)や家族が信じていないのに、外部の人に信じてもらおうというのは到底無理です。
 個人差がひどい関係で、わからない者にわからすことは無理ですが、自分が苦しいということだけは、家族にしっかりわかってもらう必要があります。「私はどうもありません。アレだけがギャアギャア言ってるんですわ」では、負けです。
 それよりもっと大事なのは、近所に同じような被害者がいないかを調べることです。同じ被害者が他にもう一人でもおれば、戦力は十倍にもなります。もっと3人、4人、5人となれば百人力。戦いは極めて有利になります。もちろん、もう感覚異常者、精神病者に扱われることはありません。
 医学の世界では、非常に珍しい病気が発生した時、1人だけではなにも言えません。しかし同じ状況下で、珍しい病気が2人発生すれば、その状況が原因である可能性が高いとします。そしてもし3人発生すれば、その状況が原因と断定してよいとしています。
 同じような被害者が、自分以外にも近所にいるということは、それほど大切なことです。複数化は客観化なのです。

(36)測定は行政に

測定をどうしたらよいのでしょうか?

 測定値を得ることは、低周波公害解決にとって最大の難関です。低周波公害の被害者は皆ここでハタと困ってしまいます。
 しかし行政がなんと言おうと、これは行政がやるべきです。これこそ行政の最重要の仕事です。
 真面目に国税や地方税を支払い、しかも自分が何も悪いことをしていないのに低周波公害に苦しめられている人を、行政が放置するのは許せないことです。「業者に測ってもらえ」などとは、行政の義務放棄です。もしそれが許されるなら、その高額の測定費用を支払えない貧乏人はどうなるのですか。泣き寝入りするか、サラ金に駆け込むしかないということですか。これは憲法違反です。
     日本国憲法 第14条(法の下の平等、ほか)
  ① すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
 こうした現況を打ち破るためにも、しつこく行政に測定を要求すべきです。これは国民のための行政改善運動となることでしょう。行政に低周波音測定機器の購入の必要を痛感させ、引いては「年間30例」の環境庁の愚劣を打ち破ることになるでしょう。
 都道府県だけでなく、府県庁所在地と地方中核都市位は測定能力を持つべきであり、環境庁は「年間30例」の100倍も低周波公害苦情があることを認識すべきです。

(37)協力者を求める

 一般に庶民はこうした交渉事に不慣れで下手です。しかし世間には、こういう事が上手で好きな人が結構いるものです。そういう人が知人におれば、協力してもらえばよいでしょう。
 しかし、人の口車に乗って気軽に頼まないことです。カネ儲けのための協力であったり、最悪ヤクザ関係であったりすれば、低周波公害よりその方が厄介なことになりかねません。
 官庁関係がからみますから、議員の方に協力してもらう人が多いようです。この場合もただ「あの人知っている」だけではダメで、庶民の味方になる人か、企業やカネにつく人かを見分けておかないと、味方と思っていたらいつの間にか敵側に回っていて、泣き寝入りを迫られてはなんにもなりません。
 おカネは掛かりますが、弁護士に頼むのが一番のスジでしょう。しかし、これも人選に注意が必要です。敵側に回ることはないにしても、多くの弁護士は低周波公害の知識を持ちませんから、これを新しく学習して理解する意欲を持つ人でなければなりません。
 忙し過ぎる有名弁護士は、その点で不安があります。また老齢になりますと、一般に新しい知識に弱くなるものです。そうした点を考慮しなければなりません。その点複数の弁護士のいる法律事務所なら、向こうが適当な弁護士を選んでくれるでしょう。
 弁護士であれば、もはや相手側や行政にバカにされることもありませんし、将来裁判になっても大丈夫です。

(38)裁判に訴える

最後は裁判ということですか?

 交渉がうまくいかない、サア、裁判だ、となりがちですが、事は簡単ではありません。なるべくなら避けたいと思います。
 できるだけ行政の場で、たとえば公害審査会とか、調停委員会とか、なにかルートがあれば、それの利用をお勧めします。
 それがダメなら、簡易裁判所の調停申立てです。
 それでもダメな時、民事訴訟ということになります。これには、騒音の差し止めを求める裁判と、損害の賠償を求める裁判とがありますが、普通は両方を兼ねた訴えになります。
 私が裁判をなるべく避けたいとする理由は、以下の通りです。
 ① 時間が長く掛かります。その間、相手は低周波音の出し放題ですから、それを何年も歯を食いしばって耐えねばならないことになります。あきらめたら負けです。我慢比べです。
   それに一審だけですむ保証がなく、控訴になればまた何年も掛かります。さらに最高裁判所もあります。
 ② 年数が掛かるにつれて、おカネも掛かります。その間の景気
  の変動と関係なく、必要なカネは必要なのです。
 ③ 一部の裁判官の資質に問題を感じます。官僚的、非常識、世間知らず、体制迎合などです。弱い庶民の苦しみがわかってくれるのか不安ですが、裁判官を選ぶことができません。
 ④ 損害賠償はまだ認められやすいですが、差し止めはなかなか認められません。これは原告の願いと正反対です。

(39)逃げ出すこと

低周波公害の帰結はどうなりますか?

 普通騒音と違って低周波音の対策は極めて困難で、対策が逆効果となることもしばしばです。その上鋭敏化という現象がありますから、被害の出た後から僅かな低減対策に成功してもこの鋭敏化に追い着かず、被害者の満足を得ることはまずありません。
 こうして、加害者側は「これだけ誠意をもって対策しているのにまだ文句をいうか」となり、「おかしいのと違うか」「いやがらせではないか」「カネが目的に違いない」となります。
 被害者側は「これだけ苦しいのになにもやってくれない」「対策したというばかりで、少しも楽にならないではないか」となり、お互いに不信を募らせます。
 これに行政の無策と無責任が加われば、争いごとはますます深刻になり、解決のメドがつきません。
 これが多くの低周波公害の悲しい帰結ですから、騒音対策まがいの対策をまず考える常識は、初めから放棄するのが賢明です。
 まず、逃げ出すことを考えるのです。加害者側が逃げ出すか、被害者側が逃げ出すかです。これが根本対策であり、原因療法です。
 初めから逃げ出すことまで考えなくても、なんとか対策できるだろうと考えるのは、低周波公害に関してはアマイと言わざるを得ません。効き目のない対策をさんざんやった上で、相互不信を募らせてしまっては、逃げるに逃げられなくなります。
 「三十六計逃げるにしかず」です。

(40)低周波人間

 低周波音に鋭敏な低周波人間は、この社会に適合できない劣った人なのではありませんか?

 アフリカのある原住民は物凄く聴覚が発達していて、日本人が到底聞き取れない音まで聞き取るそうです。それは彼等の聴覚が進歩しているというより、私たち文明人と称する連中の聴覚が退化したというべきでしょう。
 さすがの文明人も、彼等が文明人の聞き取れない音まで聞き取ることを、軽蔑したり、感覚異常者扱いはしません。尊敬とは言わないまでも、驚嘆します。しかし、低周波人間の驚嘆すべき感覚の鋭敏さは、軽蔑され、感覚異常者とさげすまれます。
 このアフリカの原住民は、恐らく低周波音に対しても驚くべき感知力を持っているだろうと想像されますが、彼等のこうした鋭い聴覚や感知力は、危険をいち早く察知したり、逆に獲物をいち早く発見したりして、生存に極めて有用です。彼等にだってこうした感覚に個人差があるにきまっていますから、感覚の鋭い人は重宝され尊敬されることでしょう。
 機械文明の未発達であった頃、低周波音源とは地震、津波、噴火など恐ろしいものばかりでした。その時、低周波音の感知能力の優れた低周波人間は、感覚優秀者として尊敬されたことでしょう。そして有用であればこそ、低周波音感知能力の鋭敏化は、望ましいことであったに違いありません。現代になって、手の裏を返したように劣ったものとみなすのがおかしいのです。


(41)騒音地獄

 経済活動が活発化し社会が活性化すれば、世の中が騒がしくなるのはやむをえないのではありませんか?

 アフリカの大地が静かなのは別格として、西欧文明諸国も日本ほどは騒がしくないと聞きます。フランスでは、アパートの夜の物音にうるさく、抜き足、差し足で行動して、ドアの開け閉めにも注意し、夜中はトイレを流さないというのですから、随分生活の不便を忍んで共同生活のルールを守っているようです。
 それに比べると日本は騒音天国です。「タバコのポイ捨て」で訓練された反社会性は、騒音に至って遺憾なく発揮されております。フローリングとか称してマンションの自室の床をわざわざ騒音構造に改造し、階下の住民の迷惑を顧みないなどは朝飯前のことです。
 なにしろ“騒音おもちや”で英才教育され、学校に行けば住宅街に鳴り響くマイクの音、家に戻ればテレビゲーム、長じては暴走族は別格としてもくるま騒音、ロックにパチンコ、通勤の駅の電車の発着時の絶叫。都会の騒音を逃れて観光地に行けば、くだらない流行歌の大音響が山野にこだましています。
 アメリカ人の目からみれば、あの東京でも清潔なんだそうです。ところが、東京の騒音にはびっくりするらしく、日本人の騒音不感症は世界に冠たるもののようです。
 1974年の平塚市の「ピアノ殺人事件」で死刑判決を受けた犯人は、この騒音地獄に生きることに絶望して上告を拒否しました。
 騒音地獄はそれ以上に低周波音地獄でもあります。

(42)便利中毒文明

 科学の発達による文明の進歩は、人類に恩恵をもたらしているのではありませんか?

 科学か人類を幸福にすると思い込むのは間違いです。人類を幸福にするかどうかは、科学の問題ではなく、科学者の問題です。
 アインシュタインの天才が導き出したものは原子爆弾であり、その平和利用と称する高速増殖炉にいたる一連の原子力発電所の開発が、人類の恩恵であるかどうかも未知数です。
 現在“地球環境の危機”か叫ばれています。正確には人類の危機”というべきです。それを加速しているものは、紛れもなく科学の発達による文明の進歩です。それによって大量の資源・エネルギーの浪費と大自然破壊か進行してきたのです。
 近代物質文明の最高傑作は自動車です。その便利さは人々の心をとりこにしています。狭い日本の津々浦々に、六千万台のくるまが走り回っています。それが沿道の人たちをどれだけ苦しめているかを思い巡らす心のゆとりなど、露ほどもありません。
 こうして我が国の大気汚染の主役は、工場からくるまに代わりました。騒音の主役もくるまです。くるまは我が国の現在の公害の最大の原因です。他方、交通事故は毎年一万数千人の死者と百万人近い負傷者を出し、家庭を突然の不幸に落とし入れています。いまや紛れもなく、くるまは国民最大の敵です。
 しかしくるまのための道路は、掛け替えのない土地と自然を破壊しながら、延々と伸び続けています。くるまの乱用による膨大な資源・エネルギーの浪費は、くるま社会自体、あと何世代持つかもわからない状況ですが、そのすべてを無視して、くるまは増え続けているのです。
 現代物質文明とは“欠陥商品の大量生産機構”の別名です。それが私たちの生活を便利にしたのは確かですが、私たちを幸福にしたかどうかは疑問です。犯罪の増加と巧妙化、広域化、凶悪化もまた文明の進歩がもたらしたものに他なりません。
 私たちは飽くなき便利さの追求に夢中になっています。しかし、欲望には限度がありません。一つの欲望が達成されると、そこにはさらに大きな欲望が待っています。その欲望にブレーキを掛けない限り幸福はありませんが、“便利中毒文明”がそれを許しません。
 低周波公害は、こうした文明の“落とし子”として生まれ、物質文明の発達とともに、ひそかに、しかし着実に被害を拡大しています。低周波公害は物質文明の“暗部の象徴”です。
 低周波公害が、国や行政を含めて便利中毒社会から疎外されているのは、単に「聞こえにくい」とか「わかりにくい」からだけではありません。低周波公害がこの便利中毒社会のあり方、国のあり方を、根源から問うているからです。低周波公害の解決の困難さも、究極は、このことに根差しています。
 釈尊の教えに「少欲知足」という言葉があります。「少欲」とは「まだ得ていないものに対して多くむさぼらない」こと。「知足」とは「すでに得たものが少なくとも満足する」ことです。
 現代人に最も欠落している思想がこれです。無限の進歩が無限の幸福をもたらすかのごとき錯覚を、この際捨てねばなりません。
 低周波公害はそれを訴えているのです。

(43)やさしさ欠乏症候群

究極、低周波公害の解決を妨げているものは何ですか?

 現代社会の特徴は、機械化(便利さ)とスピード(時間欠乏感)と、それに必然的に付随する騒音(低周波音)地獄と欲望の肥大化です。これらが人の心を険しいものにしています。加えるに、幼児期からの早期騒音教育と、学校から学習塾までの徹底した左脳偏重教育です。これで国民にやさしい心が育ったら奇跡です。
 こうしでやさしさ“欠乏症候群”がすっかり国民病になってしまいました。この“やさしさ欠乏症候群”の流行が低周波公害を多発させ、その解決を困難にし、被害者を追い詰めています。加害者側は、苦しむのはそっちの勝手と言わんばかりです。公害源に苦情を言いに行って、門前払いを食ったとか、アベコベに脅されたとか、嫌がらせを受けたとか、ひどい対応が横行します。
 加えるに、周辺の隣人たちの“中立”という名の無関心です。人の不幸を内心喜んでいるみたいです。
 エアコンは、本人には快適を、他人にはいやな音を約束します。冷房でいえば、中はより涼しく、外はより暑くです。くるまはかつて子供の遊び場の強奪に成功し、いまや公共交通機関を衰退させて交通弱者の足を奪いつつ、騒音と排気ガスを撒き散らしています。
 低周波公害はこうした現代社会の不幸の象徴です。その被害者を救うものは、科学の力でも、法的な規制・基準でもありません。それは人々のやさしさと思いやりの心しかないことを、低周波公害の被害者は身に染みて知っているのです。

(付) 騒音公害との鑑別表
           騒音                 低周波音
感覚         聞こえる             感じる、わかる
被害の表現    やかましい(うるさい)    苦しい(うるさい)
被害の実際    聴力障害(不定愁訴?)    不定愁訴(不快感)
被害の状況    戸外できつい        室内できつい
戸や窓         閉めたら楽        開けたら楽
テレビなど    楽になるとは限らぬ    つけたら楽
個人差         少ない            著しい
普通騒音計    測定できる        測定できない
対策 耳栓      有効            無効(増悪?)
対策 防音壁     有効            かえって増悪
対策 閉め切る    有効            かえって増悪
対策 防音室化    有効            かえって増悪の恐れ
対策 難易さ    対策は容易        対策は極めて困難
経過        慣れてくることもある    鋭敏になっていく
規制基準        あり            なし
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